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2008年11月 第38回アトリエ訪問 木村毅氏 NPO、ひろしまインターネット美術館とは?
平和都市広島を中心に、制作活動をされているアーチストを
WEB上で紹介をしています。
木村先生とは初対面なので、所属されている一水会が、「西洋絵画の伝統である写実の本道を守り、安易な会場芸術を非とし、技術を重んじ高雅なる芸術をめざす」ことを確認したうえ、当美術館の展示作品の「対峙(梅花)」にみる先生の作風に興味を持ってお伺いした。
先生のアトリエは、美術館の事務所から車で5分とかからない己斐山の手の、落ち着いた雰囲気の住宅団地のなかにあり、心地よい秋の陽光を受けていた。
きちんと片付けられたアトリエで、最初に目に付いたのはイーゼルに乗っている細長い女学生の人物画だった。そして大小2つのギターと沢山の小物を並べた棚、さらに大きなスピーカーの上の新しいMACであった。顕微鏡や科学室の小道具などもあってアトリエと実験室や書斎が混在していた。見せていただいたのは、大小2つのギターの小さい方、バックパッカーというギター。そのあとご自分が作詞作曲された数多くの曲の中から、昔録音された、歌声が若い「Oh My Town Kabe」という曲を聴かせて頂く。そのうち、昔対面したことのあるさだまさし氏に、先生が見えてきた。
音楽と絵画、出会いは絵画のほうが早く武蔵美に進学された後、音楽に嵌ったということであるが、もともとは手塚治虫などの漫画の世界からデザインやイラストそして本格的な油絵(現在では、アクリル絵の具を主に使用されているそうだが)に進まれたそうなので、数々のご趣味が高じた結果が今にある。
人物像がなぜ細長くなってしまうのかお尋ねしたところ、「細長くないと気持ちが落ち着かないので、意識しないうちになんとなく細長くなってしまう。なぜかと訊かれても、その感覚を言葉に置き換えると別のものになるような気がするのでうまく答えられない。」というご返事。つい最近、モディリアーニ~真実の愛~のTV映画をみたばかりなので、顔と首が異様に長いプロポーションで目には瞳を描き込まない絵がつい脳裏をよぎる。
広島に戻り中学の教員を経て市立高校の美術の先生になられたそうだが、指導に際しては、「美術は言葉や論理ではない、気持ち、感覚であるから、理屈抜きでとことん描いて、自分の感覚や気持ちを探ったり、鍛えたりしてもらうこと」「生徒の進路も様々なので、専門的な教育ではなく、誰にも美術を好きになってもらい、心を豊かにすること」、「本人の発想や表現手法を大切にし、伸ばし広げる支援を行なうこと」を大切にしているということであった。
「誰にも美術を好きになってもらい、心を豊かにすること」はこのインターネット美術館の目指すところと同じかなと我田引水の気持ちを抱いて面談を終えた。
<文・馬場宏二/写真・原敏昭> 2008年10月 第37回アトリエ訪問 橋本一貫氏 NPO、ひろしまインターネット美術館とは?
平和都市広島を中心に、制作活動をされているアーチストを
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実際の風景をそのまま写し取るのではなく、情景を構成していく。
寂寥感のある光景に魅かれて描きつづけている。
灰色がベースの遺跡なのにあたたかい匂いがする。9月の声を聞いてすぐに訪ねた橋本一貫先生のアトリエでは、描画中大きな作品があった。周りはワイングラスやギリシャの杯、牛骨などの様々なモチーフ、沢山の資料、製図台などで囲まれていた。
最近はギリシャ旅行で取材した題材で描き続けていると言われた。実際に訪ねた風景に時の流れを重ねて再構成しながら描く。画面につかう色をあらかじめ何十種類も作ってから描いていく手法は、現代の油絵なのに日本画の乳鉢や、いにしえのヨーロッパの顔料をつかう絵画を想起した。主題は「時を感じる寂寥感」とのことなので不思議にその連想がしっくりとする。
絵画の道に入る契機は高校生の時に師事した先生の言葉だったと伺った。芳しい才能がそのまま往く道を示したのではないだろうか。学生時代に描かれた絵をみせていただいて、その重圧感と蓄えられた時に圧倒された。烔々と輝く橋本先生の目はものの形だけでなく四次元を見通しておられるらしい。描きとめられた対象はただ在るだけでなく綿々とつづく時のかなたを含んでいる。同じ画面の中に仄暗い空間と光に満ちた空間が描かれている事が多いのも多次元をおもわせ、奥行きにひきこまれる。
時によせるイメージは以前の明暗に暖かさが加わって、最近の絵は明るくなってきたそうだ。歴史を見る目に愛情が感じられるほどだ。絵の中の遺跡の麓で過ごす時間には郷愁や悠久を楽しむ余裕がふくまれている気がした。
<文・泉尾/写真・原> 2008年9月 第36回アトリエ訪問 木本 一之氏 NPO、ひろしまインターネット美術館とは?
平和都市広島を中心に、制作活動をされているアーチストを
WEB上で紹介をしています。
原点は鍛冶職人。
確かな技術と丁寧な仕事であたらしい表現を求めていく。
夏の風がアトリエの周りを駈けていく。側を流れる水も涼しく、目に水田の緑と遠くのやわらかい稜線。工房隣りに構えられたアトリエの、重量感たっぷりの鉄の引手の温度がじんわりと心地よい。すぐに迎え入れてくださった木本氏と会う前に握手をしたような気分になった。それからアトリエの2階にある作品群について、とりとめもなく質問してしまう私たちに一つ一つ丁寧に答えていただいたのだ。
広島の展覧会で出会ったことのある不思議な都市を切り出したような作品のほかに、建築家の石山修武氏から依頼された柘榴の照明オブジェなど、有機的な肌触りを感じさせる作品もあり、様々な手法を使って表現されている。工房の大きなアンビルや材料になる構造用の鋼、力強い音のルフトハンマー。そして炉で燃やす大量のコークス。一つのハンマーを持たせていただいて、その重さびっくり。繊細な仕事に必要な体力と厳しい熱さをしのぐ耐力を考え、圧倒された。心を動かされる作品を支えるのは鍛鉄の確かな技術。その基礎となっているのはヨーロッパのマイスター達の元で修練した日々。師匠はパウル・ツィンマーマンやアヒム・キューンなど世界的な鍛鉄工芸作家だ。
大学3年の折、ドイツの工房を訪ねて感動し、そこで修行したい念いを手紙で訴え続けて3年後渡欧。ベルリンの壁が崩れて変わっていくヨーロッパの中、4年半にわたって、ドイツ、スイス、チェコをまわり実際の仕事を通して鍛鉄に打ち込まれた。ヨーロッパの街並を際立たせる芸術性の高いセンスと技術を問われる「看板や門扉」。美しいバランスで大陸の風をとらえる「公共施設のモビール」、確実性と繊細さが必須の「世界的な遺産の修復」等々それらの仕事の多くは豊富な写真集や図版となっていて、見るのも聞いているのも楽しい。もちろん現地では街にとけ込み、または史跡として何百年も残っていくのだ。多くのマイスターたちの情熱で形作られる文化がうらやましく感じられた。
木本氏が日本に戻られて、広島の町もその恩恵に浴している。その中でも電車が組み込まれたデザインの看板は格別に楽しそうだ。作品に出会うため、あるホテルを訪ねてみようと思った。
<文・泉尾/写真・原>
2008年8月 第35回アトリエ訪問 吉井 章氏 NPO、ひろしまインターネット美術館とは?
平和都市広島を中心に、制作活動をされているアーチスト
WEB上紹介をしています。
夏休み前の暑い日、広島市立大学の芸術学部教授室をお訪ねした。この学部の学生達は贅沢な設備と選り抜きの教授陣に取り囲まれ、毎日芸術三昧でいられる資格を得た人たちなのなだなと年甲斐もなく羨ましさを感じていた。
押しかける側からすれば、普段の状態で十分なのに、1週間がかりで整理されたという。そのとき肩を痛められ学生達の応援を求められたそうで、大そう心苦しい思いがした。
吉井教授は、広島出身の父君が転勤されていた岡山市で生まれ小学生時代から広島人になられている。中学・高校生時代に芸術の先生から特別に目をかけられたそうで、設計技師志望を変更して当時合格率がなんと50倍を越えていた東京藝大に進学されている。難関を潜り抜ける前の3年間の浪人生活が根気を育み才能を開花させる下地になった模様で、そのときの人生を左右する良き出会いが支えになったようである。
大学卒業後、都の中学校の非常勤講師、新設の都立高校から、都立芸術高校の教師を歴任された後、現在の市立大学に招かれている。もし小説家またはシナリオライターがお話を聞いたら幾つもの面白いドラマになりそうな出会いや教え子との葛藤を経験されたようだ。そうしたなかで画学生の心を失わず取り組んだ制作のテーマでは、人物から自然のかたちや営みへと、オリジナリティを持って表現するための試行錯誤を重ねられている。
「(自分の)絵は単体で切り取り完結するものでなくエンドレスに続いている自然界の模様をつなぎ合わせている。かつての日本の巻物で描かれていたように、人生や自然界の場面や動きをつなげていくようなもの。」「自然界を見ていると丸・三角・四角形などでかたち作られているが五角形が最も面白い。」「生活観では和洋折衷を考える。油絵は西洋画であるものの、自分は和の世界にあって、これを抽象で表し色彩で整理したほうがはっきりする。」「自分にとっては知的な遊びや動きを意識するとどんなものが見えてくるか、純粋に自分が気に入るかどうかを見せていきたい。」など独自の美を生み出す作者ならではの奥深いエッセンスをお聞きした。
さらに、昨年(新しくできた)国立新美術館に出品する際、個人の持分はこれまでになく4mということなので、立ったまま描ける限界の高さにチャレンジし、左右に継ぎ足す絵を加えたものを創ってみたが、そうすることにより学生時代の絵に回帰したような気がするとおっしゃって、その時代の絵を見せていただいた。なるほど共通項はあるが違うような気もする。
抽象画の表現内容を作者にあれこれ問えることは日常にはなく素晴らしいことであるが、観るものがその絵から百人百様にいろんなシチュエーションを思い巡らせることもまた自分の世界を深く広く膨らませることができるものになるというのが私の結論であった。
<文・馬場宏二 写真・原敏昭>
2008年7月 第34回 アトリエ訪問 高山 博子氏 NPO、ひろしまインターネット美術館とは?
平和都市広島を中心に、制作活動をされているアーチスト
WEB上紹介をしています。
求めたのは生命の喜び。人間の魂を描くこと。
新たなスタートを迎えて、愛を与える感動を目指す。
プロフィール
1981年 大阪芸術大学美術科卒業
1985年 光風会初入選
1993年 日展初入選
この年より個展多数
現 在 光風会会友、広島日展会会員
中国新聞文化センター講師、広島美術研究所講師
大通りから一足はいった町並みは静か。涼しい微風が通るアトリエに、青いパンジャビで我々を迎え入れてくださった先生は、間近にせまった個展のためにずらりと壁面を飾っている絵の魂そのものに見える。絵から伝わる生命力から、第一印象は赤い作品が多いように感じたが、静謐な夜の中にも暖かさを感じる青や、人物の純粋な目の光を連想する衣の輝く色彩。そのハーモニーの中にいると、アトリエの空気はすぺての波長に満たされ、陽光の化生のようだった。
遠く遣唐使や遣隋使が立ち寄った鞆の浦にあるご実家は、今は平野屋資料館として訪れることができるが、父の里 古い文化にふれ、芸術や文化に関心の深い父の影響により、幼少のときから絵筆をとり、以来、画業から離れることがなかったとのこと。その間、子育てをされ、美術教師もされ、インドを何度も訪ね、日本の仏像に出会うための旅をされたりと、エネルギッシュな生き方をされている。
時につれてモチーフは鞆の浦の漁民から、群像やインドの民へと変遷しているが、一環して追い求められたのは生命の喜び。民の魂を描くこと。苦しみがあるからこそ昇華があり、生命の豊かさを味わうことができる。30年にわたるインドとの関わりで感じていたそうだ。
昨年は梅雨のインド(大変な季節)を経験された後、11月にデリーで世界平和仏舎利塔の落慶法要にダライラマとともに参加され、散華の花を浴びながら、「自分はこれまでの人生充分に生かされてきた。これからは芸術を通してインドにお返しをし、世界平和につながる何かの役にたちたい」との思いを強くもたれた。
その後、訪れられたシャンティニケタンのタゴール国際大学での出会いから、今年11月から客員教授として弁を執られる。銀座松屋の8月、そごうの10月と二つの個展を準備されながら、目下英語も勉強中とのこと。先生のあふれるエネルギーに、少々日常に疲れ気味の我々も、すっかり元気をいただいて帰ったのだった。
<文・泉尾祥子/写真・原敏昭> |
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